歴史

八木家の親族による話を基にしただるまやの歴史を紹介します。
昔の資料などが残っていないため、間違っている可能性がありますがご了承ください。

初代 吉衛門

だるまやの初代店主。(と言われている。)
江戸時代末期に当時の江戸できもの職人を始める。

2代目 吉之助

吉衛門の仕事を受け継ぎ、江戸できもの職人を行う。

3代目 繁太郎

店を平塚に移す。
仕事は変わらず、藍染を中心とした染物業と洗い張りなどを行う。

↑こちらは、昭和7年頃の明石町の写真です。



↑こちらは、昭和17年頃の明石町の写真です。

4代目 六太郎

繁太郎の養子。
繁太郎の仕事を踏襲し、藍染を中心とした染物と洗い張りといったきもののお手入れや、印半纏(しるしばんてん)の小売などを行う。当時はきものの小売業は行っておらず、お客様が自分でおきものを縫ったため、仕立ての依頼も無かった。丸洗いやしみ抜きもほとんど無く、洗い張りが主流であった。


↑こちらは、昭和37年頃の明石町の写真です。


↑こちらは、東京オリンピックの時のだるまやの写真です。



↑こちらは、平成12年頃の明石町の写真です。

5代目 一夫

六太郎の長男。双子の弟である久雄と二人でだるまやを継ぐ。
子供のころから店の仕事を手伝い、高校卒業と同時に店に入る。25歳のときに六太郎から店のすべてを任される。そのころから、染物と洗い張りだけの仕事に限界を感じ、染物を止め、小売業を始める。お客様からきものの仕立てを依頼されることが多くなり、裏地なども取り揃え、悉皆から小売までほぼすべてを受けられる体制を築く。

6代目 賢一

5代目一夫の双子の弟である久雄の息子。
大学卒業後、4年間のサラリーマン生活を経てだるまやの跡継ぎ修行を始める。
大学時代や会社勤め時代の経験を活かして、お客様との新しい関わり方を模索しながら、古き良き職人仕事を受け継ぐ修行の日々を重ねている。

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